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元教員が語り合う「学校の外でできること」


佐藤佑紀さん(写真左)

宮城県にて中学校の社会科教員を6年間勤めたのち、2020年スタジオplus+本八幡教室に個別指導員として入職。現在はアウトリーチ事業部マネージャー。

伊藤尚子さん(写真右)

茨城県にて高校の英語科教員を9年間勤めたのち、2020年スタジオplus+市川駅前教室に個別指導員として入職。現在、同教室の児童発達支援管理責任者と学習支援事業部人事担当を兼任。



教師になって子どもたちの世界を豊かにしたかった



佐藤:僕は中学生のころ、上下関係が本当に嫌いで。周囲になじめなくて、学校はすごく嫌いでした。いじめられたりもして、「つらい目に遭わないためには何が必要なのかな」と思いながら社会科の授業を受けてると、差別や争い、人権や平等とかの話がいっぱい出てくる。「こういうことをみんなが知れば、世界はもう少しよくなるんじゃないか」と思ったんですよ。今すぐは変わらなくても、次の世代がつらい思いをしないように、教師になって社会科を教えようと。


伊藤:原体験が近いかも。私は小学校のころ海外に住んでいて、帰国後、日本の学校になじめなかったんです。英語を話すと「外人かよ」って言われたり。私、すごく上から目線なんですけど、「この子たち、視野が狭いな」と思っちゃって。「外に目を向けられたら、子どもたちの世界はもっと豊かになるのでは」と考えて、異文化理解や国際理解に興味を持ちました。次世代の状況をよくしたいという発想で「教育」を志した部分は似てますよね。


佐藤:クラスに自分みたいな子がいたら気にかけられる先生でもいたかったんです。

「集団をつくる」とか「クラスのまとまり」より、本当はそちらを優先したかった。でも、実際に先生になってみると「チームが大事」という指導をまず徹底されたし、「まとまりを乱すことは悪」とまで仰る先生もいて。学校のやり方はとてもよく分かったし意義のある部分もあると感じたけど、「じゃあ自分のやりたいことは何だったんだろう?」と、とーっても悩みました。


伊藤:価値観はそれぞれですよね。私は英語教諭として高校に勤めましたが、勉強を教えたいというより、生徒一人ひとりに寄り添いたい気持ちがありました。でも、生徒のほとんどが大学進学を希望する進学校だったので受験英語の指導や実績を求められ、「やりたいことと違う」という思いが募っていきました。当時、英語部の顧問を務めていて活動も自由にやっていたんですが、ディベート大会とか検定試験などをやるように勧められることもありました。でも、そういうことをやりたい生徒ばかりではないんですよ。ディベートみたいなことをやらないからこそ英語部にいる生徒もいたので、常に葛藤がありました。


佐藤:世の中的には「個性を大事にする教育」と言われてて、現場もそのことは分かっていないわけではないんだと思うんです。でも、気が付くと集団でのまとまりが一番で、個人はやっぱり二の次になってしまうんですよ。体育祭とか合唱コンクールみたいな、皆で一丸となって取り組むことが学校の華になる。その「二の次感」が自分はけっこうしんどかった。

5年目くらいから「このままじゃ続けられないな」と思い始めて、6年目に辞めることを決めました。でも他にやりたいことも見つからなくて、さてどうしようというときに、「そうだ、昔から東京にあこがれていたんだ!」と思い出した。「とりあえず東京に行こう!」と。


伊藤:思い出したんですね(笑)


佐藤:そこからネットで東京っぽいところを調べたんですけど、江戸川に阻まれて(笑)市川に辿り着きました。でも東北人からしたら、ほとんど東京みたいな感じです。



学校を変えたい気持ちはあったけれど……



伊藤:私は最初の学校に5年勤めた後、定時制高校に異動しました。前任の学校と比べると積極的に勉強する子は多くなかったけど、「英語に興味がある」という子はいるんです。そういう生徒を対象に「ちょっと英会話やろうか」なんて楽しくやってました。


佐藤:いいですね。


伊藤:ただ、定時制高校では一人ひとりのニーズが大きく、ニーズの種類も多岐にわたると感じました。学業以外の困りごとを抱えているケースも少なくありませんでしたが、1人の担任が集団を見る学校のしくみでは、個々に寄り添って支援することは難しいこともわかったんです。学校を変えたい気持ちはあったんですけど、校長になるのは自分の中では違う。

なんて言うんですか、アウトロー?


佐藤:アウトロー、アウトロー。


伊藤:私みたいなアウトローは学校ではトップになれないし、なったとしても一匹狼になりそうだし、なにがなんでも学校でやってやるぞというようなタイプでもなかった。むしろ、学校以外の場でなにかやってみたい気持ちもありました。


佐藤:僕は転職活動中、まず「自分は何なら評価してもらえるのか」をとにかく探しましたが、やはり「教員として、学校の中で学んだものだ」と思ったんです。特に、3年間特別支援に携わったことは大きな学びでした。知的障害のある子や、肢体不自由を抱えている子など、多種多様な子たちと関わったこの経験はどこかで評価してもらえるのではないかと思って。

いくつか面接を受けて、拾ってもらったのがダイバーシティ工房です。


伊藤:私は定時制高校に勤めながら転職活動してました。数年かけていろいろなNPOを見に行きました。先ほどの「困りごとを抱える子たち」への思いも、工房への転職につながっていますね。学校では先生が1人ひとり丁寧に見るのは無理なので、(学習支援事業の)スタジオplus+の個別指導には意義があると思いました。

ただ、直接支援ができる人はいっぱいいるので、私自身はそういう仕組みを作る側にいたい。そう思って今は学習支援のほかに、人事の仕事もさせてもらっています。


佐藤:今力を入れているのは、若手の育成です。3年後5年後を見据えてやっています。若い人たちは、今やってることに対して、疑問と不満と苛立ちを持ったっていいと思っています。それを自分の手で変えたいという意志を持ってほしい。そして、臆さずに挑戦・実践していく集団になってほしいと思っています。だから「どんどん失敗しておいで」って言ってる。しょげて帰ってきたら、「どんまい、どんまい」って言うのが私の仕事です。



年齢や経験に縛られず仕事ができる


伊藤:私が人事でやりたいのは、「みんなができることを最大化する」こと。困っていることを解消して、一人ひとりのできることが増えたら、事業部全体の可能性も増えると思うんです。ああ、でもこれは「やりたい」というより、「やった方がいい」ことかな。


佐藤:そうそう。年々そういう視点になっていく気がします。


伊藤:ここに自分の力が生かせるかな、みたいな発想。


佐藤:やりたいことより、できることを探した方が自分も楽しいし、話も進んでいく気がしますね。自分が持ってるもので一番使えるのは、やっぱり「対・学校の接し方」なんです。学校に行くと、話を聞いてくれる人がどこにいるか、どういう風に話せば自分の言いたいことが伝わるか、鼻が利く。ここ数年やってきて実感してます。


伊藤:今私36歳なんですけど、教員だったらこの年齢でこんなに新しい仕事を次々できなかったと思うんですよ。この年だと、学校でできたとしても学年主任。今は採用や研修づくりに関わっていて、同じ法人内でも転職したくらい仕事が違いますけど、経験がないのに任せてもらえるなんて本当にありがたいことだなと思います。


佐藤:僕は今年32歳になりますが、学校だったらヒラ教員のままだったと思います。それが今、教育委員会の人と「こんなことやりたい」って提案をして、一緒に考えていただけることもある。これは教員時代にはとても考えられなかったことです。年齢や経験に縛られないので、視野も広がるんですよ。


伊藤:確かにそうですね。


佐藤:今考えてるのは、市内の学校に工房のスタッフを配置すること。例えば、スクールソーシャルワーカーみたいに事業化して派遣する形にできないかと。

あとは、ちょっと方向は逸れるけど、みんなが行きたいところに行ける組織にしたいっていう野望はありますね。例えば移住してもリモートで仕事できるようにしたい。そうすれば、やりたいことやできることがいっぱい見つかるんじゃないかな。


伊藤:私、今年のリフレッシュ休暇は勇気を出して南フランスに9日間行くんです。すごく迷ったんですけど、みんなに続いてほしいから、むしろ行った方がいいと思って。


佐藤:そうですよ、行った方がいい。僕も今度、長期で北海道に行きます。こういう姿を子どもたちに見せたい。縛られなくていいんだよって。学校つまんないなら休めよ、やりたいようにやろうぜって、自分自身が胸を張って言えるようになりたいなって思ってます。


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